日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
今日は寒空の朝、日差しのない見るからに、実際も寒いです。ここ数日寒い日が続いていますが体調を崩さないようにご注意ください。
今日は余裕があるので3週ぶりの本題に入るとしましょう。
前回の内容はもう忘れてしまった方も多いかと・・・・
幕末時に撮影された古写真を掲載しました。
今はない三重櫓3基の話をしましたが、この櫓は江戸城二ノ丸にありました。
現存している三重櫓は本丸にある富士見櫓だけですが、その本丸の隣になる二ノ丸に3基ありました。
因みに、本丸は将軍のエリア、二ノ丸はご嫡男、要するに次期将軍のエリアとなるところです。
写真をよく見るとかなり荒れていた様子で屋根瓦が崩れているのがわかります。
明治になり皇居となる際に残しておくことが難しい建物は解体されてしましました。そして今残っている建物だけになりました。
次回はその現存している他の櫓の話をいたしましょう。
今日はこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
あっという間に3月になってしまいました。
今日は温かい日曜になりそうです。
先週はインフルになり体は休めましたが、というより休まずにいられない状況でしたので・・・・
先週の分休みにやることがたまっているようなので、今日はこちらに時間を使いますので、今日はこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
インフルエンザになってしまいました。やっと熱は下がりましたがブログは休ませていただきます。
それでは今日はこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
今朝は昨晩の雨のおかげで湿り気のある土の香りがするまさに春の匂いのする空気、深呼吸して体に春の気分いただきました。
今日は春らしい一日になるのでしょうか・・・・
今日も先週に引き続き江戸城の話をひとつ。
現存している、三重櫓の富士見櫓の話をしましたが、今はないのですが、この富士見櫓のような三重櫓がかつての江戸城には6基もありました。弘前城の天守が6棟存在しているような城郭が江戸城なのです。やはり規模が違います。
ただその6棟のうち今残っているのはわずか1棟、幕末時にはほかに3基が存在していました。その写真掲載いたします。
説明は・・・・次回ということで
それでは今日はこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
あっという間に日曜日がやって来る感じが・・・・
しかもこの今日の生温かさ何でしょうか・・・
あまり気持ちの良くない日曜日の朝になりました。
いつまで温かい気温が続くのでしょうか・・
間違えてカエルが出てくるのでは・・・など考えつつ
まぁ今日も時間があるので先週に引き続き、江戸城の話をひとつ・・・
先週、現在の最高高さの江戸城郭建築物である富士見櫓のこと話をしました。
江戸時代になり徳川江戸幕府(中央政権)は元和元年(1615年)に「一国一城令」を出し各藩(地方政権)に城に対して規制をかけてきました。
その一つに豪華な天守はダメとなりこれより大きな天守は徳川家関係以外に世の中に現れなくなりました。
まして江戸城に天守が無くなった以降は富士見櫓より大きい天守などもってのほかという状況です。
実際は地方のほとんどの藩財政は天守など造る力はなかったのですが。
ですから言い方も天守とは呼ばないで「御三階櫓」という呼び方をして中央政権に遠慮をしていた状態です。
既に江戸時代始まり50年経った頃には本来の目的としてのお城は必要のない時代になりました。
と言うことでも江戸城はラストキャッスルと呼べるのではないでしょうか・・・
今日はこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
日曜日がやってまいりました、2月に入り暦の上では春、突入です。今日は晴天の日曜日になるのでしょうか。
本日は余裕がありますので、先週に引き続き「江戸城の話」をひとつ・・・・
お城のシンボル天守の話を終え城内にある建物のことに話は移ります。
天守以外のお城の建物は?・・・・といいますと御殿・門・櫓などがあります。
まずは櫓の話を
現在、江戸城の櫓は3基現存しています。有名な二重橋の奥にある伏見櫓、後は富士見櫓と桜田巽櫓があります。
その中で今日は富士見櫓の話をします。
上の写真を見ても分かる通り、屋根が3つに重なっている3階建ての高層建築なのです。実際天守なき後の江戸城で天守の代用とされていたとも・・・
現在の富士見櫓は万治2年(1657年)に再建された櫓です。
ちなみに天守は明暦3年(1657年)に焼失していて、まずは簡単な方を建築しようかと、いった感じで建てたのでしょうか・・・
この富士見櫓、石垣に高さが約14.5m建物の高さ約15.5mあります。
この規模は弘前城天守や宇和島城天守・丸亀城天守と同じ大きさがあり大したものなのです。
そんな建物がこの東京・江戸城跡にあったこと知っていました?
この富士見櫓は目につきにくいところにありしかも皇居内にあるので国指定の重要文化財になっていないので目立たないのかもしれません。
ただし近くに行ってみることはできます。是非注目してください。
ということで、今日はこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
今日は晴天の朝、冬の朝。今日は寒いのかどうか・・・・
昨日は日中も寒かったですねぇ。
先週は仕事があり短い話になりましたが、今日は本題・江戸城の話に参りましょう。
江戸時代前半50年だけの天守が存在したその後は・・・・
今江戸城後には天守台と呼ばれる石垣がありますが、これは明暦の大火後に新たに新築されたものです。ただ、その上には建物は一度も建っていないのです。
それでも、今ある天守台は他の城に比べ、かなり大きいのですが、その前の天守台はもうひと回り大きいのです。
それを想像するだけでも、日本一の城だなと感じます。
天守台行ったことない方ぜひ行ってみてください。東京を内側から見るような気持になれます。
天守の話はこの辺で、次からは江戸城内の話をしていきます。
意外と建物現存しています。そのあたりを・・・・・
それでは今日はこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
今朝は朝から仕事をします。
申し訳ありませんが、簡単に済まさせていただきます。
今日は内覧会の受付がありその前に一仕事と・・・・
ですので、本当に簡単ですが、失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
今朝も日差しが部屋に入ってきます。薄雲がかかっていますが晴れの日曜日となるのでしょうか。
自分に体調は徐々にはよくなっているようですが、まだ喉の調子が良くありません。
なかなか風邪が抜けていきませんなぁ〜
今日も本題に入ります、江戸城の話をひとつ・・・・
三つの江戸城天守をひとつづつ説明しましたが、天守の形式
は2つに分けることができます。
家康の慶長度天守は望楼型天守。
秀忠の元和度・家光の寛永度は層塔型天守。
と言うように分類出来ます。
望楼型とは下層部の入母屋屋根の建物に上に望楼を載せたような形状です。
初期の望楼型は下部と上部の平面的な大きさが違い、いかにも、望楼が乗っている形になっているので分かりやすいです。(国宝犬山城天守など)
後期型は上部が平面的に大きくなってきたので層塔型と区別がつきにくくなってきます。
見分けるのには1・2階が同じ大きさの平面になっているのが見分け方といえます。(国宝姫路城など)
もうひとつの層塔型は時代的に新しい形式になります。
また建築史上でいうと、最後の天守形式といえます。
特徴は各階ごと、上に行くに従い床面積が小さくなっていくことです。
思っていたより長くなりそうです、今日はこの辺で、続きはまた次回に・・・
ということで、失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。
日曜の朝に
おはようございます。設計担当の高橋です。
今日も冬らしい青空の朝、でもまだ本来の寒さではない感じです。
いい天気の日曜日になりそうです。
自分自身はまだのどが痛くなかなか体調が戻りません。
咳き込まなければよいのですが寝つきがつらいです・・・・
先週に引き続き江戸城の話を・・・
前回の家光が建てた江戸城天守は明暦の大火により焼失してしまいました。
それ以降江戸城は天守のない城として現在に至っています。
250年の江戸時代、この前半50年だけに史上最大の天守が存在していたということです。
なぜそのあと建設をしなったかというと、時代が必要としなかったことと、経済的なことが言えます。
群雄割拠の戦国時代を征した徳川家康は数々の建設事業を各大名に請け負わせ資金財力を浪費させてきました。
それも3代将軍家光でほぼ終わり、江戸時代50年経った頃には江戸幕府に対抗する勢力はなくなり、平和な時代において、天守の存在価値が無くなったきたようです。
また建設には、お金がかかるのは事実なので政策的に優先順位をつけると後回しにされてしまったようです。
この江戸城が日本の城郭として最後の天守との言えるでしょうか・・・(幕末に五稜郭などありますが従来と違う城郭ですので)
次回は天守の構造の話でも・・・・
ではこの辺で失礼いたします。
よい日曜日をお過ごしください。